「スピリチュアル」と言うと、「ヤバイもの」とか「普通じゃないもの」という印象を持っている人が多いと思います。
では、スピリチュアルをヤバイものだと思っている人は、何を「普通のこと」だと思っているのでしょうか。
実はスピリチュアルをヤバイと思っている人たちが、気が付いていない事ってあるんですよね。
この記事では「スピリチュアル」について「普通」とは違った面から見てみたいと思います。
「スピリチュアル=本質」である
そもそもスピリチュアルとは何なのか。
スピリチュアルという言葉そのものの意味は「霊的であること」です。
じゃあ霊的であることとは?
私たちは本来、霊的な存在です。
お盆にご先祖様の霊(魂)が帰ってくる、という考え方は、日本という国に深く根付いています。
私たちが本来、霊的な存在であるということは日本人にも受け入れやすいのではないでしょうか。
話を戻します。
スピリチュアルとは「霊的であること」
私たちは本来、霊的な存在。
ということは、「スピリチュアル=私たちの本来の状態」といえます。
ですから「スピリチュアル=本質」なのです。
3歳の時の疑問「ここでどうやって生きたらいいの?」
皆さんはなぜ生きていますか?
朝起きて、ご飯を食べて、学校や仕事に行く。
家族と生活している。
これって当たり前といえば当たり前です。
でも、どうして当たり前だと思うのでしょうか。
私の話を少しさせてください。
私が3歳の時のことです。
お父さんとお母さんとお姉ちゃんだという人と一緒に暮らしている。
「どうしてこの人たちが私の家族なんだろう?」
「私はここで何をやっていればいいの?」
「ほかの人はどうして生きているんだろう?」
そう疑問に思っていたんです。
保育園に入れなかった私
そうしているうちに、来年から保育園に通う、という時期になりました。
保育園に入園する前の健康診断?のようなものがあり、母に連れられて保育園に行きました。
行ってみると、たくさんの知らない子供たちが、たくさんおもちゃがあるところで遊んでいました。
たぶん周りの大人にしてみれば、私もその一員となって遊ぶ存在ですよね。
でも、当の本人である私は、その光景を見て
「みんな、何やってるんだ?」
「ここどこなの?」
「この人たち、誰なの?」
「ここで私に、何をしろと?」
・・・結果、私は保育園に入園しませんでした。(次の年に空気を読んで幼稚園に入りました)
「この世界はどうなっている?」という疑問の答えがスピリチュアルだった
私は幼少期から「ここに生まれたけど、どう生きればいいの?」と疑問に思っていました。
そんな疑問を持つ私は「普通」ではないのかもしれません。
親に質問してみても、答えを教えてはくれませんでした。
小学生になり、友達の自分の疑問について話してみたことがありました。
友達の答えは「そんなこと考えたことがない」でした。
大学病院の医師にも質問してみましたが、しっくりくる回答は得られませんでした。
世の中の大半の人はなぜ地球に生まれて、お金を稼ぎながら生きなければならないのか疑問に思っていないようでした。
私より先に大人になっている人はたくさんいるのに、私の疑問に対する答えを誰も知らないのはなぜなのか不思議でした。
そればかりか、みんな当たり前のように地球のルールで生きているのが不思議で仕方なく、
またそれができない自分が悲しいと感じることも多くありました。
なぜみんなは行きたい学校やなりたい職業を選択できるの?と思っていました。
それ以前に、なぜそれをやらなければいけないかがわからないというのに!なんてこった・・・
私の疑問は地球で生きることそのものへの疑問です。
その疑問の答えを探し続けていました。
そんな私がスピリチュアルと言えるものに初めて出会ったのが高校生の時でした。
シルバーバーチ霊言集という本を読みました。
その後マーフィーの法則のような潜在意識の話や斎藤一人さんのお話に出会いました。
そして、最終的にスピリチュアルカウンセラーで作家の並木良和さんが発信されている情報にたどり着きました。
「私たちはもともと完全な存在である」
「制限のある世界を体験したくて地球にきた」
「でもそろそろこの世界での体験を終わらせて、元々の完全な存在に戻っていきませんか?」
やっと答えを見つけたと感じることができました。
私が長年抱えてきた「なぜ地球に生まれて、なぜ地球的な生き方をするのか」との問いに答えてくれたのはスピリチュアルだったのです。
これが「スピリチュアル=本質」ということなのです。
そもそも、なぜ生きるのか。
その答えこそスピリチュアルなのです。
お金をだまし取るようなスピリチュアルはさすがにヤバイ
私の長年の問いに答えてくれたのはスピリチュアルでしたが、それは「知識」や「情報」、または「直感」として得ることができたのです。
決して物や人に依存して、何が幸せなのかもわからない状態で妄信するものではありません。
依存や妄信をしてしまうと高額な物を買わされたり、高額な祈禱料を払わされたりするかもしれません。
スピリチュアルは自分が知らない「知識」を得て、自分の生き方に反映させるものだと思います。
自分以外の人が自分をどうにかしてくれるわけがないんです。
でも、そこに気づかない人がいるから本当にヤバイ感じの“えせスピリチュアル”みたいな人にだまされたりするんです。
だから、いつまでたってもスピリチュアルが怪しいという印象が消えていかないんですよね。
お金がかかるスピリチュアル=ヤバイではない
今の時代、根拠がしっかりした有益な情報がほしければタダでという訳にはいきません。
逆にタダで手に入る情報というのは嘘だったり、万人受けを意識した浅い情報だったりします。
テレビの情報を信じる人がまだ多いですが、それは様々な思惑によりコントロールされた情報であると知っておかなければなりません。
本当に有益な情報を得るにはそれなりのお金がかかるんです。
習い事をするのだって、月謝を払って教えてもらいますよね。
それと同じ事です。
それなのに、スピリチュアルでお金をもらっていると「詐欺だ!」とか言う人がいます。
中には詐欺レベルの情報を発信してお金をとっている人もいるかもしれません。
そこはきちんと見極める必要があります。
スピリチュアルをヤバイものだと決めつけていると、本質に気づくことができないかもしれません。
何事も自分でしっかり見極める目を養っていくことが、地球を生きていく上では大切です。
どんな時でもニュートラルな意識でいられるようになりたいものです。